壊れた(壊した)ENBはだいたい元通りになったと思います。細かいところはプレイしながらちまちま直していこうと思います。
以降はSKYRIMも動画も関係ない普通の日記です。
おい信玄餅食わねぇか?
TVアニメ「ゆるキャン△」MV~1/6の夢旅人2002ver.~(youtube)
まさかの公式水どうMAD。好きの相乗効果。いわばハンバーグカレー。コーヒーフロート。ゆるキャン△の何が好きってあのマフラーの巻き方な。髪の毛ごと巻くやつ。マフラーの上の髪がモリッてなるの可愛い。
そして!ついに!水どう新作完成!!わぁああああい!!!!
先行上映あるみたいけど他人がいる映画館で観たくないなぁ…。というわけで地上波放映開始したらお家で一人で観ます。生きねば。
自己言及するゲームたち
これより先は映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』とゲーム『moon』、『Undertale』、『MOTHER2』、『METAL GEAR SOLID 3』のネタバレを含みます。好意的な内容ではありません。これらの作品が好きな人、これから楽しもうと思っている人への配慮は一切ありません。
ユアストーリー観た人がだいたい「あえて多くは語らないけど本当に酷かった」といった感想なのでどんだけだよって思ってネタバレレビューをいくつか読んだんですが、見当違いで不必要な説教や励ましを手垢のついた手法でお届けするためにDQ5を無駄遣いされたように感じたことが酷評の主な原因(と解釈しました)で、そりゃDQ5に思い入れある人は怒るわなぁ…と納得しました。ただでさえゲームが公然とプレイヤー自身に説教してくるの萎えるもんなぁ。
とか何とか思ってたら最近moonがSwitchに移植決定したようで、あちこちで歓喜の声があがってるわけですよ。「ゲームなんかやめて現実見ろよ」ってユアストーリーに言われて「うっせバーカ」って言ってた大衆が、今度はmoonに同じこと言われて「深いメッセージだわぁ。愛があるわぁ。まじ名作」って言ってるわけですよ。DQ5好きな人が映画に物申したくて声をあげることはあれどmoon好きじゃない人が移植決定にわざわざ声をあげたりはしないだろうから、これを大衆(って一括りにするのも雑ですが)の総意とするのは不適切なのは分かります。この2作品ではゲームをやめるべき理由や見るべき現実が違うから反応も違うのかなって想像もつきます。でも私にとってはゲームに言われてる時点でどっちも「うっせバーカ」なんですよ。
評価や感想は人それぞれなのでそこは全く問題ではないんですが、問題なのは「私がUndertaleは好きになれないのにMOTHER2は好きな理由を自分自身に説明できない」ってことです。ユアストーリーとmoonどこ行ったって言われそうですが、あれらは単にこの問題に気付くきっかけになったってだけなんでもうどうでもいいです。あと他人に説明できないのも別にどうでもいいです。人それぞれだもんね〜で問題にはならないから。でも自分自身に説明できないのは何かモヤモヤするんです。
Undertaleは終盤まで本当に楽しく遊んでました。SansがLVやEXPの話をした時は「セレクトボタンで地図が見れるよ」とか「Bボタンを押しながら十字キーを押すと早く移動できるよ」とかそういうノリで普通に聞けました。ラスボスのセーブデータ云々や強制終了は萎えたけどまだ苦笑いの範疇でした。でも最後の花の「みんなをそっとしておいて」で俺の怒りは有頂天ですよ。「何いきなり話かけて来てるわけ?」ですよ。
Life is Strangeをプレイしてた時、分岐ありのゲームならどうせ周回プレイするだろうし実績解除は後回しでいいやって思いながらやってました。でもいざクリアしてみると「よーし、じゃあロードして別の選択肢もみるかー」って気に全然なれませんでした。断腸の思いで決意して選んで守ったものを軽々しくリセットしたくなかったんです。そう思わせてくれる素晴らしいゲームでした。
Undertaleがプレイヤーに期待したのもそんな反応だったと思います。別の結末も見たいなぁ。でもせっかくみんなと仲良くなって丸く収まったのにニューゲームしたらまたふりだしに戻っちゃうなぁ。次の周でモンスター倒すの気がひけるなぁ。
期待するのは構いません。ただ、なぜそれをプレイヤーの自発性に任せてくれなかったのか。期待通りの反応をしないと成り立たないなら人にやらせる意味ないじゃん。それじゃあ初見プレイ実況に湧く指示厨と一緒だよ。
プレイヤーの自発性に任せるという点で思い出したのはMGS3のBOSS戦ラストです。良くも悪くもムービーゲーと名高いMGSが、BOSSの暗殺というこの物語の最重要シーンをプリレンダムービーではなくプレイヤー各自に演じさせたのは素晴らしかったと思います。Life is Stangeの最後の選択肢同様、ここでも決意と万感を胸にボタンを押しました。Undertaleがやったのはこのシーンで「THE BOSSにとどめを刺すのはスネークではなく画面の前の君自身だ!決意ができたら△ボタンを押してね!」って画面に表示するのと同じ事なんですよ。台無しだよ。
プレイヤーである私自身の行動がゲーム内の世界や人物に影響を及ぼすことは百も承知です。プレイヤーのとり得る行動とそれによってもたらされる結果を用意するのはゲーム側ですが、行動の動機やその結果に何を思うかはプレイヤー側が決めることです。プレイヤーにこういう風に感じてほしいって希望があるんなら演出で誘導すればいいじゃない。花に言わせてる時点で演出の工夫の放棄ですよ。なんでゲームに操作されなあかんねん。操作しとんのはこっちやぞ。
とまぁ以上がUndertaleを好きになれない理由なんですが、これを「私はプレイヤー自身を公然と操作したがるゲームが嫌いなんだな」と一旦は解釈したんです。だが待てよ、Undertaleなんかよりもっと露骨に、なんなら名指しでプレイヤー自身を操作するゲームがあるじゃないか。しかも有ろう事か私はそのゲーム大好きじゃないか。一体どういう事だよ。
はい、MOTHER2のギーグ戦の祈りです。Undertaleの事例に当てはめるなら「は?なに勝手に私が祈ってる事にしてるわけ?あーぁ台無しだよ」ってなるはずなんですが、実際は「おっけー分かったまかせて!祈ってるよ!超祈ってるよ!」ってなったんです。MOTHER2ならプレイしたの子どもの頃やろ?まだ純粋だったから素直に受け入れたってだけじゃね?…と思うじゃん?私がMOTHER2を初めてプレイしたのはGBA版です。DS Liteでやったから2006年以降です。その頃にはもう純粋さは失っています。薄汚れた心で一生懸命祈りました。
なんでUndertaleは駄目なのにMOTHER2は良いんだろう。ここ数日ずーっとその事を考えてました。(いい大人なんだからもっと他に考えるべき事があるだろってのは分かってるんですが、そっちは考えてると本当に気が滅入るので現実逃避のためにゲームの事を考えてたんだよ許してね)結局未だ結論を得ませんが、ずっとモヤモヤし続けるよりは吐き出した方が多少スッキリするかなぁと思って書いてます。
第四の壁はマジックミラーで、当たり判定も一方向であってほしい。こっちからそっちは見るけどそっちからこっちは見ないでほしい。こっちからそっちにはすり抜けるけどそっちからこっちには来ないでほしい。ポーラは私が見えてないからいいけど、花は見えてるから嫌。私の祈りがギーグに作用するのは問題ない。こっちからそっちにすり抜ける(私の行動がゲーム内の事物に影響する)のは普段のプレイと同じだから。花が「みんなをそっとしておいて」って言うのは嫌。プレイヤーの情緒を露骨に操作しようとするのもニューゲームに言及するのもそっちからこっちに来てるから。
でも「○○はいのりつづけた」って表示は?名指しでプレイヤー自身を操作しようとしてるよ?そっちからこっちに来てるよ?なんで嫌じゃなかったの?祈った結果がギーグに作用する事が明白だから?わっかんねぇー!いいじゃん好きなものは好きなんだよ!
あと気付いた事が一つ。花の「みんなをそっとしておいて」はそっちからこっちに来てる以上に、こっちからそっちにすり抜けるのを拒絶されてるから嫌なのかなと。Life is StrangeやMGS3を例に挙げてココが駄目アレが駄目と散々あげつらっておきながら、実際のところはここまで楽しく遊んでて大好きだったのに拒絶されたから逆ギレしてるだけなんじゃないかなと。ストーカー殺人犯と同じ心理ですよ。こっわ。だって私のsteamのプロフィール背景も貼り付けてるバッジもUndertaleだしデスクトップの壁紙もずーっとUndyneだもの。アンテ信者キチガイばっかだと思ってたけど自分もわりとキチガイだったわ。
でももう二度とUndertaleみたいなゲームはやりたくないので、「良BGM」「本名でのプレイ推奨」「ネタバレに対する忌避感が異様」「MOTHERシリーズファンにおすすめ」以上が自分用地雷探知機です。
ところでアニメ版のドラクエ(アベルのやつ)もおばあちゃんが読み聞かせてくれた本のお話しでしたってオチだったと思うんですが、ユアストーリー絡みでその件に触れてる人を今のところ見たことなくてだいぶ寂しいんだが。DQ5リアルタイムでやってた世代ならアベルだって観てただろうが!真っ先に思い出せよ!!
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