第二十七夜で、今まで動画で出てきた書籍を基に妄想したシャリドールのことを色々喋ってます。その補足です。
念のためもう一度書きますが、あくまでも「私はこう思いました」っていう妄想です。
- 書籍『小さな迷宮』より
“アークメイジのシャリドールは、第一紀に達成した偉業で有名だった。様々な話で、ドゥーマーの軍団と単独で戦ったことやウィンターホールドの街を囁いた呪文で作ってしまったこと、アカトシュから人生の秘密を盗んだこと、自分でラビリンシアンを建てたことが語られている。
シャリドールに関する伝説の多くは誇張や完全な捏造だが、真実はラビリンシアンとの関わりを知ればわかる。”
“シャリドールは新しいアークメイジを試すためにブロムジュナールの遺跡の奥深くに迷宮を建てた。破滅した街を進むこと自体がテストだった訳ではなかったが、生き延びられなかった候補者達も多くいた。”
“ブロムジュナールは崩壊し、その土地は長いこと忘れ去られていた。(中略)シャリドールが遺跡を再び使用するまでは。”
シャリドールがウィンターホールドの街とラビリンシアンをつくったこと、ラビリンシアンをつくった時ブロムジュナールの街は既に廃墟になっていたことが分かる。
- 書籍『グジャランド首長の要塞に関する調査報告書』より
ホワイトランは竜語で“AHROLSEDOVAH=竜の丘”である。
これは隻眼のオラフがヌーミネックスを捕らえたことに由来すると思われる。
よって、グジャランド首長は隻眼のオラフ(~1E452年)より後の代のホワイトラン首長であると考えられる。
また、この報告書には
“ブロムジュナール - 古くからある居住地区。以前と比べてかなり縮小した。木材と石。”
という記述があり、グジャランド首長の時代にはまだブロムジュナール(現ラビリンシアン)は居住地区として機能していたことが分かる。
- 書籍『オラフ王の詩歌』より
“ファルクリースからウィンターホールドまで皆が崩れ落ちて膝をついた”
継承戦争(1E369~420年)末期には既にウィンターホールドの街があったことが分かる。
よって、シャリドールがウィンターホールドの街をつくったのはオラフ即位(1E420年)以前である。
また前述の『グジャランド首長の要塞(ry』より、オラフ存命中のブロムジュナールは廃墟になっていない。
というわけで動画では「ウィンターホールドが既にあった時代でもブロムジュナールには人がまだ住んでたんだから、“シャリドールがウィンターホールドの街を作って、廃墟と化していたブロムジュナールにラビリンシアンを建てた”ってのもどうせ嘘だろ」って言ってたんです。
そしたらESOをプレイしてる方からこんなタレコミをいただきました。
ESOでシャリドール本人が「全部ワシが造った」って自慢してたよ。シェオゴラスにガチギレしながら。04:10
わー何それ超みたい!!ごめんねシャリドール!嘘つき呼ばわりしてごめんね!「ホワイトランが竜の丘なのはヌーミネックス由来ってわけじゃない」だとあまりにもガッカリなので、矛盾ないように時系列を整理してみました。
- 若き日のシャリドールがウィンターホールドの街をつくる
- 継承戦争中、ウィンターホールドはオラフと戦うも敗北
- 1E420年オラフが上級王即位、1E452年崩御
- グジャランドがホワイトラン首長になる
- 月日は流れ、既に過疎っていたブロムジュナールはいよいよもって廃墟になる
- けっこう歳をとったシャリドールがブロムジュナールの廃墟にラビリンシアンを建てる
こんな感じでどうでしょうか。シャリドール、グジャランド、オラフはみんな1E400年代頃の人物ってことで。
あと考えられるのは「ブロムジュナールには居住区画と廃墟区画とがあって、シャリドールは廃墟区画のほうにラビリンシアンを建てた」とかですかね。隠匿の炉床墓地があるイヴァルステッド、ヌチュアンドゼルがあるマルカルス等の例がありますし、街の中に廃墟(遺跡)があってもおかしくは無さそうです。もしそうなら、シャリドールはオラフやグジャランドよりずっと前の時代の人物って可能性もあります。
いやちょっと待って!可能性を広げたいんじゃなくて狭めたいんだけど!シャリドールがいつ頃の人なのか気になる!
『小さな迷宮』に書かれていることが全て事実なら、“ドゥーマーの軍団と単独で戦った”とする伝説もシャリドールが生きた時代を探る手掛かりになるかもしれません。しかしドゥーマー消失は1E700年。シャリドールの時代を絞り込むことはできません。
スカイリムの書籍ではこれ以上の事は分からなかったので、TES過去作をあたってみることにしました。
シャリドールといえばラビリンシアン、ラビリンシアンといえばTES1アリーナ。アリーナは持ってないのでUESPwikiのアリーナの頁を眺めてみましたが、特にこれといった情報は見付けられませんでした。
もういいや、手っ取り早くシャリドールの頁を見てみよう。この人ノルドだったんですね。ブレトンだと思ってました。シェルブールとかシャルルドゴールとかそんな感じで。それはさておき、この頁に書いてるのも大体『小さな迷宮』からの引用みたいですが、本には載ってないこともありました。前述のドゥーマーとの戦いについて更に詳しく、“Battle of Rourken-Shalidorにおいてローケン一族の軍団相手に単独で戦った”とあります。ローケン一族ってヴォレンドラングの?まじかよソース出せよ。
というわけでこちら、オブリの書籍『タムリエルの伝承』です。
(公式訳では“ロールケン・シャリドールの戦い”になってると思います。TES5では Rourken=ローケンになってるのでここでもローケンと表記します。)
『小さな迷宮』のいうドゥーマーとの戦いは、このローケン・シャリドールの戦いの事を指していたんですね。しかし残念ながらローケン・シャリドールの戦いがいつの出来事かは分かりませんでした。せめて何処であったかが分かればシャリドールの時代も分かるかもしれませんが…。
※ローケン一族はドゥーマーとチャイマーの同盟に反対してレスデインを離れ、1E420年、現在のハンマーフェルに落ち着いたとのこと。(出典『帝国へのポケットガイド第三版』)
結局シャリドールの生きた時代については想像の域を出ませんでした。しかしESOにも登場するということはまだ知らない事が判明するかもしれませんね。
TESはSKYRIMくらいしかまともにプレイしたことないので、過去作やESOで何か面白そうな話があったら(シャリドールの件以外でも)また教えてください!
オチもまとまりも無い長話に最後までお付き合いいただきありがとうございました!
【関連記事】続・シャリドールのあれこれ
0 件のコメント:
コメントを投稿